第十章  ペットロス症候群

前章の冒頭で、自分は心の準備があるから、きっと猫たちの死に対して冷静でいられるだろうと思っていた、と書きました。しかし、いざ、本当にその現実を突き付けられると、予想とは違う自分が現れて、戸惑いました。

ペットロス症候群という言葉は、今では珍しくもないよく聞く言葉になったと思います。要するにペットの死に対して心や体がバランスを崩すことです。しかし、ペットが死んだから、という理由だけではなかなか片付けられない理由で人間の死より立ち直りにくい状態になることもあります。
私はいまだに身近な人の死に出会ったことがないので、比較は全くできないのですが、私の場合、こんな理由でペットロス症候群になったということを書きたいと思います。

最初、心のバランスが崩れて、何もかもが絶対に良い方向には向かわないのだ、何をやっても楽しいことなどないのだと毎日泣くようになったのは、まだチョビが生きている頃でした。それは、チョビが死ぬかもしれない、という不安に心が負けたのだと思います。今日かもしれない、明日かもしれない、ずっと先かもしれない、しかし、大切なチョビが死んでしまいそうなのだ、とそれだけが頭のなかで渦巻いていました。ちょうど、転職して、職場に馴れていなかったこと、自動車で軽い接触事故を起こしたことなどが重なって、本当に世の中が真っ暗に思えていました。
できれば会社など休んで、ずっとチョビの看病をしたかったのです。
けれど、そんな理由が通用するでしょうか。これが自分の子供だったら、命にかかわる病気であれば躊躇なく会社を休むだろうし、会社も休むことを認めてくれるでしょう。しかし、猫です。たかが動物です。それがかなわないのは、自分でも十分にわかっていましたし、会社を辞めてしまっては、チョビの入院代さえ払えなくなってしまいます。人間の病気はいろいろな保険がありますが、動物には保険はないのです。
自分にとってはなによりもかけがえのない命なのに、社会的にはたかが動物であることが、おおきなギャップとなって私の心のバランスを崩しました。
チョビが死んでしまって、いつ来るかわからない不安が現実のものになって、むしろ私のペットロス症候群は少し軽くなりました。なくしてしまうかもしれない、という不安よりもなくなってしまったという現実のほうが受け入れやすかったのです。
チョビが死ぬまで、彼が死んだら会社を休めるだろうか、とかいうことまで不安の材料だったのですが、動物病院がすべてやってくれて、私は動物が死んだくらいではオタオタしない普通の社会人のフリをして会社を休まずにすごすことができました。

何がよりいっそうペットをなくした人の心を傷つけるのか、私が経験した場合で考えれば、社会人であろうとする自分と猫の親であろうとする自分の葛藤なのだと思います。愛しいもののためにできるだけの事をしたいのに、常識的な社会人でありたい自分の方を選んでしまう。そんな自分がきたなくて、いやらしく思えてしまう。
もちろん、直接たかが動物が死んだくらいでめそめそするな、と言われて傷つく人もいるでしょう。
それよりも、本当に動物の死そのものが衝撃的でうちのめされる人もいるでしょう。
人によって、ペットロス症候群はいろいろな原因があるのだと思います。

しかし、永遠に立ち直れないわけではありません。時間がかかるかもしれませんが、かならず死んでしまった子のことをいい思いでに出来るはずです。
未だに私もおりにふれてチョビを思い出しては泣けてしまいます。けれど、それは当たり前のことだと思います。悲しいんだから、大切だったんだから、いつまでも泣けるのは仕方のないことです。しかし、今は毎日楽しいし、幸せだと思えます。
私には、悲しいということをちゃんと聞いてくれる人がいました。チョビを私と同じくらい大切に思って同じ悲しみを分かち合える人がいました。それから、猫たちもいました。
悲しくて悲しくて、そんな思いを二度としたくないから猫は飼わないという人がいます。私は、そうは思いません。猫があけた穴は猫でしか埋められません。もちろん、ジグソーパズルのピースのようにぴったりとその穴を埋めるというわけにはいきません。けれど、別の形ですきまを満たしてくれます。
そして、死んでしまった猫が残してくれたいろいろな教訓を受け継ぐのも猫しかいません。
チョビをただの思いでにしないために、『んがお』家では、ずっとずっと猫を飼い続けます。猫に責任が持てなくなる年齢になるまで、責任が持てる範囲の数の猫と一緒に暮らしていきたいと思います。
これから、まだたくさん猫の死に出会うと思います。そのたび、私は心のバランスを崩したり立ち直ったりしていくのだと思います。そのたび、いろいろな教訓を得るのだと思います。そのたび、次の猫たちにつくしてあげられるのだと思います。
もし、まわりにペットをなくして立ち直れない人がいたら、ただ話を聞いてあげてください。むりやり励ます必要はありません。悲しいのはあたりまえなんだとわかってもらってください。それだけでいいと思います。

必ず、またいい出会いがありますから。
    第十一章  新しい仲間  に続く

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