第二部 第一章  ぷーちゃん闘病記

 2005年7月。実は、それ以前から気がついて、動物病院の先生に相談していたのですが、実際に目に付く病状が出てきたのが2005年7月なのです。
 のっぷぴの中の愛すべきのんびり屋さんぷーちゃんの背中に腫瘍ができました。
最初、ほんの小指大のコリっとしたものが背中の肩甲骨の間にできました。ちょうど予防接種の注射をする場所です。触っても痛がったりしないのでそれほど気にもとめていませんでした。
半年ほどたつと、小指大だったものが親指大になり、それからピンポン玉大になっていきました。さすがに心配になって、動物病院の先生に相談したところ、原因ははっきりしないが猫に時々できる骨と癒着した腫瘍だと説明を受けました。予防接種が原因かどうかは特定されていないが、そのあたりにできる猫が多いようなので、針による刺激で細胞に異常ができるのではないか、というお話でした。そのため、動物病院では背中ではなく足に予防接種の注射をするようになっている所もあるそうです。
背中の骨に癒着されてしまっては切除もできないのですが、足であれば足を切除する治療方法があるわけです。
ぷーちゃんの場合は高齢であるのでなおのこと手術はすすめられないし、高齢だからこそそれほど腫瘍も進行しないだろう、という説明でした。
確かに、ぷーちゃんは背中が少しもりあがってはいるものの、普通の生活を当たり前のようにして、全く他の猫とは変わりなかったのです。
が、2005年7月。明らかに腫瘍の大きさが異様になり、ぷーちゃんの下半身が急に痩せ始めました。しかも、食欲も落ち、触ると痛がるようになりました。
動物病院に連れて行くと、安楽死をすすめられました。
ここから先は、私のブログにつづられています。少し長いですが、日を追ってぷーちゃんの症状の変化がわかります。ブログ「のっぷぴ母日記」 右側下のぷーちゃん闘病記というカテゴリーにまとめてあります。
ぷーちゃんはふらふら歩く状態だったのがだんだんと歩けなくなり、排泄も困難になり、しまいに寝たきりになりました。
それでも、ごはんは毎日ちゃんと食べ、撫でると喜び、抱っこしろとねだる、歩けないだけの普通の猫のままでした。
私はできる限りぷーちゃんが快適であるようにつとめました。
しかし、自分がしたいことも十分にできました。ぷーちゃんは本当に手のかからない病猫だったのです。
寒い冬の日、まだまだぷーちゃんは生きて、きっと梅雨の頃にじめじめとした環境にやられて死ぬんじゃないか、という私の予想を裏切って、あっけなくぷーちゃんは天に召されました。
ちょびの時と違って、自分の家で介護して、自分の家で死を迎えさせることができました。
最期を看取ることはできませんでしたが、それでもぷーちゃんも自分もがんばったなぁという不思議な満足感はありました。もちろん、もっと生きていて欲しかったし、介護の生活が続いてもイヤではなかったと思います。
ちょびの時のようなペットロスはほんの少ししかありませんでした。死んでしまうかも、といった不安からくるペットロスではなくて、ぷーちゃんの介護をしたいのに時間がない、ぷーちゃんのそばにいたいのにそれができないというジレンマからくるペットロス症候群だったような気がします。
しかし、ちょびの時とは違って、死なれてしまってからのほうが切ないです。
何より、介護というのは密着する生活です。介護させる側も、する側も、どんなものよりも一番近くにいる存在になるのです。むしろ自分の一部になっていると言ってもいいかもしれません。
死は、いやおう無く、その一部を消し去ります。
あまりにぷーちゃんとの介護生活が濃厚だったので、しばらく新しい猫は迎えられない、という気分でした。
もとより、カッパ姉ちゃんがぷーちゃんと同い年でかなりの老猫です。彼女に新しい子猫を迎え入れた環境を受け入れろというのは酷だろうと、前々から話し合っていました。
んがお家は、しばらく、スズカとミユキとムサシという3匹の猫だけになることになりました。
                                  
第二部第二章 子猫ください に続く
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