第二部 第五章  一つの歴史が幕を閉じる

 キャラ子が加わり、我が家の猫たちは4匹になり、しばらく落ち着いた毎日が続いていました。
落ち着いたとはいえ、若いキャラ子がいるので、毎日がドタバタした日々です。この子はきっとカッパ姉ちゃんが亡くなったらムチャやミユキを抑えてボスになるんだろうな、とキャラ子を見る毎日でした。
そんななか、ぷーちゃんが亡くなって2年、2007年の3月末、カッパ姉ちゃんに小さな変化がありました。
トイレにしゃがんでもオシッコが出ません。
カッパ姉ちゃんは小さい頃に尿道結石ができて開腹手術をしたことがあります。もしかしたら、歳をとって再発したかもしれないので、とにかく病院に連れて行きました。その時は膀胱炎かもしれないとのことだったのですが、症状よりもむしろ体重の減少が気になりました。
膀胱炎の薬を飲んで、オシッコも出るようになったのですが、今度は食欲が無くなりまた動物病院へ。医師が念のためと血液検査してくれたところ、慢性腎不全だと診断されました。
猫が老齢になると多い病気で、腎不全になると完治することはありません。症状を遅らせてできるだけ快適に過ごせるように工夫してあげることしかできません。
カッパ姉ちゃんも今よりも症状が進まないように、処方食を与えることになりました。
しばらくは、そのままよくも悪くもならずにいたのですが、あいかわらず体重の減少はおさまらず、毎週1回リンゲル液を皮下注射して腎臓で排出できない悪い物質を薄めて尿で体外に排出するようにすることにしました。
それでも体重減はおさまらず、あまり食べなくなったので、高カロリー食で体力を維持するようになりました。
しかし、カッパ姉ちゃんはよぼよぼとはしていたのですが、歩き回り、機嫌よく暮らしているのです。
ようするに、腎不全という病気があるので闘病はしているものの、実は18歳という高齢であるための老化現象と言っていい状態でした。
つまり、老衰です。
最大6キロ以上あったカッパ姉ちゃんの体重は3キロを割るまでになりました。半分です。
その頃になると、家庭でもリンゲル液を注射するようになっていました。私が注射器に液を入れて、ダンナがカッパ姉ちゃんに注射してくれます。そうすると、カッパ姉ちゃんも少しは気分がいいようでした。
しかし、2008年になると、ほとんど自分で食べなくなり、高カロリー食を大きな注射器で喉の奥に押し込む食事で命をつなぐようになりました。
と、書くと瀕死の猫のようですが、この段階でもカッパ姉ちゃんはよぼよぼとではありますが、きっちりと歩き、好きな場所で好きなように寝ていたのです。
が、2008年5月も半ばになると、腎不全の末期の症状が出てきました。痙攣の発作を起こすようになったのです。
歩行も困難になってきて、排泄も思うようにならないようでした。
できるだけカッパ姉ちゃんが快適であるように、色々と工夫はしました。
それでも、歳をとるということには抗えませんでした。
2008年6月1日早朝、我が家の最も長生きだった猫、カッパ姉ちゃんは天に召されました。
19歳でした。
発病から亡くなるまでの日記はブログのっぷぴ母日記につづってあります。
長くなりますが、カテゴリー「カッパ姉ちゃん闘病記」でご覧ください。腎不全の病状経過と対処療法の一端が分かると思います。
                
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