第6章 お引っ越しは災難だ
国分寺時代の『のっぷぴ』は、それぞれが若いということもあって、言ってみれば、黄金期だったのかもしれません。住家こそアパートなので6畳2間と台所という狭さでしたが、専業主婦の召し使いが常にそばにいました。体調も健康そのものだったので、人間の食べ物もかつおぶしも煮干しも、好きなだけ貰えました。缶詰のごはんも我がままを言えば高級品を買ってもらえました。 しかし、食生活に関して言えば、まずスズカがFUSになって、病院食にせざるを得なくなり、それを機会に全員ドライフードに変えられました。しかも、それぞれおデブになってしまったので、そのドライもライトタイプに変更になりました。人間の食べ物も間食も一切与えられなくなってしまったのに、『のっぷぴ』たちは、どういうわけか文句も言わず、ご機嫌でした。病気がきっかけだったので、飼い主も決然とした態度で切り替えをしたのがよかったのだと思います。ただ10歳になったら好きなだけ缶詰を食べさせてあげると約束はしていましたが。 多少の不満を抱えつつも『のっぷぴ』たちは元気よく国分寺のアパート時代をすごしました。カーテンはボロボロ、ふすまは穴があいてしまって、派手な包装紙で修繕するという有り様です。でも、上下に空間を使って狭い居住空間を猫は猫なりに広くしていたのだと思います。 そんなある日、国分寺から新潟に引っ越すことになりました。んがおRの実家に同居することになったのです。もちろん、猫連れの引っ越しです。荷物をすべて引っ越し業者にまかせて、ガランとした部屋で猫たちをケージとキャリーに入れます。ぷーちゃんが抵抗して天袋の隅に籠城したのには困りました。それでもなんとか引っ張り出して、自動車に乗せると、いやだ怖いの大合唱です。しかし、今日は動物病院に行くだけの短い道程ではありません。約4時間、高速道路を走らなければなりません。猫たちは、さぞ怖かったにちがいありません。 真夏の暑い日でした。高速道路に入ると、ダンナが首を傾げます。水温計がおかしい、温度が下がらないと言うのです。このままだとオーバーヒートすると言うのです。猫連れでそれはとても困ります。仕方なしに高崎で高速道路を降りて、近くにあった自動車工場に入ると、ラジエーターの切り替えがうまく行かないとのこと。新潟へはそのままでは行けないので、急遽修理することになりました。工場のひとに「後に猫が乗っていますので」と言うと「ア、本当だ」とだけ返事が。修理中、『のっぷぴ』たちは、もうパニックだったことでしょう。 2時間ほど遅れて、新潟に着くと、んがお夫婦に与えられた一室に『のっぷぴ』は放されました。大変な一日だったね。でも車酔いするでもなく、翌日からはちゃんとご飯も食べてくれて、とりあえずは、ホッとしました。その後、すぐにんがお夫婦と実家の両親が旅行に出てしまって、猫だけ一室においてけぼりというひどい仕打ちもされましたが、おかげで落ち着いて家に慣れることが出来たのだと思います。 そうこうして、『のっぷぴ』の新潟での仮の生活がスタートしたのでした。 第7章 じいちゃんとばあちゃんは優しいよ に続く |
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